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こころの記憶(その3)怒り

2017年05月08日

こころ塾の講座や研修では、「多様性の受容」を大切に扱っています。
人はひとりひとり違うことを、たくさんの出会いから学びながら生きています。
そして自分もまた、たったひとりの「私」であることを学んでいます。

人は、ひとりひとりそれぞれの
「こころの記憶」でできています。

怒りという感情の受けとめ方
『怒り』

社会人になりたての頃、私が驚いたことの一つは、怒られないということでした。

入社後、配属された事業部は最先端の通信事業で、私は英文科卒のばりばり文系脳なのに、なぜか「技術課」に配属されました。NTTとの事務的なやりとりが主ではありましたが、仕組みや用語の知識もままならぬ状態で、時には通信ルームにこもり、朝までチームでトラブル対応をしました。

当然、トラブル対応では、お客様が電話の向こうで激怒されることもありましたし、ある時は、お客様担当の自社の営業マンが「なんでこんな新人女子が担当しているんだ」とぶちぎれたときもありました。 大事なお客様ですから、その怒りも当然のことだったと思います。

しかし、私の文系脳と正反対の理工系の先輩方は(同僚たちも)、私が知らなかったことや、できなかったことに対して指導する時に、怒りませんでした。本社や支社には怖い女性の先輩もいましたが、多くは怒らないどころか、ユーモア交えて笑ってくれたりもしました。 この状況には、実は心底驚いていました。 指導する時に怒らない人がいるなんて、私が成長してきた過程では考えられないことでした。

その一方で、20代の私は新米の分際でありながら、いつも怒っていました。誰にも責められていないし、しかられていないのに、一人で怒っていました。いつも怒りの感情と共にありました。 

「怒り」は、自分を守るためにある感情なのだそうです。

なにを恐れていたのでしょうか。何から自分を守りたかったのでしょう。
それを考えると、トラブル対応の際に激怒したお客様や、営業マンの恐れもわかるような気がします。自分の立場とか、信頼の崩壊とか、業務の停滞、損害への責任とか、、、。クレーマーの怒りも同じでしょう。自分の価値観や信念をないがしろにされたくない。

怒らなくていいんだ。と納得したときに、とても楽になったように思います。

それでも腹が立つことはあります。

そんな時は、自問自答します。
何が恐れなのか、恐れでないなら、その怒りは何が起因であるのかを考えます。たいがいどうでも良くなりますが、私の場合、「伝わらないジレンマ」が原因のことが多いです。
私にとって、思いが伝わらない、理解されないというのが「恐れ」なのです。 万人に対して同じ伝え方では伝わらないことをわかっていながら、伝え方がわからない時は怒るようです。反省します。



  


Posted by 内木場三保 at 12:41Comments(0)こころ塾