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【input】幸福とは・・・アドラー心理学

2017年06月05日

アドラー心理学の学習。

本を読むだけでなく、著者本人のお話を直接聞く機会は、学びを深めるためにはとても効果的だと思います。今回、縁あって、「嫌われる勇気」の著者である岸見一郎先生の講演会に参加し、直接お話を聴く機会に恵まれました。

岸見一郎先生は、日本の哲学者(西洋哲学)であり、心理学者です。また、日本アドラー心理学会顧問でカウンセラーでもあります。 実物の岸見先生は、告知チラシのお写真より、柔和でハンサムで、ニュートラルな中にとても強い意志を感じる方でした。

アドラー心理学を学ぶのは、対話を通して対人支援をする時に、自己基盤を整えるための大切なポイントがあるからです。 今回も自らを振り返る機会となり、また自分を知ることと同じように、他者を理解するために意識するいくつかのヒントを改めて心に刻むことができました。 今回のテーマは、「幸せに生きるヒント」でした。 学びを少しメモします。


幸福とは何か。

幸福感は個々人で異なりますので、定義することはなかなかむつかしいです。
しかし、個々人の幸福感の根源にあるのは、存在承認であるように思います。

当然のことながら、社会的な成功は「幸福」とは限らない。
それよりも、今ここにおいて、自分の人生を生きているかどうかの方が大切です。

岸見先生のお話の中に「他者の期待に応える生き方をしない」とありましたが、他者とは、親や子、配偶者、上司、仲間、患者、クライアントなどさまざまな関係性を含みます。 他者の都合で生きないということは、すなわち自分を大切にするということだと思います。

コーチングなどの手法を活用して対話をするときの、聴き手が意識するポイントは、「ほんとうにいいたいこと」に耳を澄ませるということです。

つまり、クライアント様が、「自分の人生を生きているか」という問いそのものです。 ですから、話す人の「価値」や「信念」にアンテナを立て、未来に向けて問いを重ねます。そして、クライアント様が話す課題は、クライアント様ご自身の課題であるから、「アドバイスしない」ことも意識します。 もしもあなたが、コーチやカウンセラーであるにもかかわらず、クライアント様や相談者の「課題」に巻き込まれ、疲れることがあるとすれば、そこの切り分けができていないことも原因のひとつだと思います。

自分の人生を生きるためにできることは以下の4点だそうです。
・未来を手放すこと(おこってもいないことを心配しない)
・過去を手放すこと(トラウマに支配されてはならない)
・今日を生きる(あしたのために)
・対人関係の中で幸福になる(貢献)

まずは自分が実践することです。
自分が選んだ人生を生きることができると、関わる人たちも変わります。
それを経験すると、心は丈夫になるように思います。
岸見先生の、「幸福とは力である」という言葉が、心に残りました。


  


Posted by 内木場三保 at 15:30Comments(0)研修

こころの記憶(その3)怒り

2017年05月08日

こころ塾の講座や研修では、「多様性の受容」を大切に扱っています。
人はひとりひとり違うことを、たくさんの出会いから学びながら生きています。
そして自分もまた、たったひとりの「私」であることを学んでいます。

人は、ひとりひとりそれぞれの
「こころの記憶」でできています。

怒りという感情の受けとめ方
『怒り』

社会人になりたての頃、私が驚いたことの一つは、怒られないということでした。

入社後、配属された事業部は最先端の通信事業で、私は英文科卒のばりばり文系脳なのに、なぜか「技術課」に配属されました。NTTとの事務的なやりとりが主ではありましたが、仕組みや用語の知識もままならぬ状態で、時には通信ルームにこもり、朝までチームでトラブル対応をしました。

当然、トラブル対応では、お客様が電話の向こうで激怒されることもありましたし、ある時は、お客様担当の自社の営業マンが「なんでこんな新人女子が担当しているんだ」とぶちぎれたときもありました。 大事なお客様ですから、その怒りも当然のことだったと思います。

しかし、私の文系脳と正反対の理工系の先輩方は(同僚たちも)、私が知らなかったことや、できなかったことに対して指導する時に、怒りませんでした。本社や支社には怖い女性の先輩もいましたが、多くは怒らないどころか、ユーモア交えて笑ってくれたりもしました。 この状況には、実は心底驚いていました。 指導する時に怒らない人がいるなんて、私が成長してきた過程では考えられないことでした。

その一方で、20代の私は新米の分際でありながら、いつも怒っていました。誰にも責められていないし、しかられていないのに、一人で怒っていました。いつも怒りの感情と共にありました。 

「怒り」は、自分を守るためにある感情なのだそうです。

なにを恐れていたのでしょうか。何から自分を守りたかったのでしょう。
それを考えると、トラブル対応の際に激怒したお客様や、営業マンの恐れもわかるような気がします。自分の立場とか、信頼の崩壊とか、業務の停滞、損害への責任とか、、、。クレーマーの怒りも同じでしょう。自分の価値観や信念をないがしろにされたくない。

怒らなくていいんだ。と納得したときに、とても楽になったように思います。

それでも腹が立つことはあります。

そんな時は、自問自答します。
何が恐れなのか、恐れでないなら、その怒りは何が起因であるのかを考えます。たいがいどうでも良くなりますが、私の場合、「伝わらないジレンマ」が原因のことが多いです。
私にとって、思いが伝わらない、理解されないというのが「恐れ」なのです。 万人に対して同じ伝え方では伝わらないことをわかっていながら、伝え方がわからない時は怒るようです。反省します。



  


Posted by 内木場三保 at 12:41Comments(0)こころ塾

こころの記憶(その2)同級生A

2017年04月27日

こころ塾の講座や研修では、「多様性の受容」を大切に扱っています。
人はひとりひとり違うことを、たくさんの出会いから学びながら生きています。
そして自分もまた、たったひとりの「私」であることを学んでいます。

人は、ひとりひとりそれぞれの
「こころの記憶」でできています。

失うことから学ぶもの
『同級生A』

高校に入学してすぐ、副委員長に任命されました。
当時、委員長は男子、副委員長は女子と決まっていて、入学式の日に先生が指名しました。

その時、副委員長の役割として、
「もうひとつ あなたをみこんでお願いしたいことがある」と担任の先生に言われました。

それは、同級生のAさんについて、なにかと気にかけてほしいということでした。彼女は、精神が不安定になることがあり、おそらく他の同級生と仲良くすることができないから、あなたが気にかけてくれて、声をかけたりしてほしいと言われました。「わかりました」と答えました。

彼女は別段、他の同級生と比較しても変わったところもなく、地味な雰囲気ではありましたが身なりもきちんと整え、おとなしく真面目そうに見えました。ただ、話しかけても少ない返答だけで、気弱に視線を外すので、会話になりませんでした。それでも、先生の言いつけを守って、いつも気にかけ、事あるごとに声をかけたり、教室の移動の際などは一緒にいたりしました。

そうこうしているうち、最初の試験がありました。成績は、ランキングの一覧になって、廊下にずらりと張り出されました。どきどきしながらそれを友人たちと見に行きましたが、なんとトップは同級生のAさんでした。衝撃的でした。それからも、彼女は常にトップでした。

何故、彼女を気にかけなければならないのか。自分より成績の良い彼女に対するくやしさなのか、どう気遣えばよいのかわからずにいたいらだちなのか、私はどう彼女に向き合えばよいのかわからなくなりました。進級しても同じクラスで、高校二年生の後半になるとAさんは時々、授業中に後方を振り向いたり、くすくす笑うようになりました。私は動揺しました。それから間もなく、彼女は入院しました。

年末、お見舞いに行った担任の先生は、クラスの全員に、Aさんの状態がだいぶ回復したこと、将来の夢を穏やかな笑顔で話してくれたことなどを報告してくださいました。それから、彼女からの伝言があると言って、クラスでも少し目立つ茶髪で、制服もロングスカートにしたり、鞄をぺしゃんこにしていた女子たちの名前を読み上げました。 「Aさんが君たちに感謝しているって。ありがとうと伝えてくれってことでした」と言いました。彼女たちはけらけらと明るく笑って「え~びっくり!」と驚いていましたが、私もすごく驚いていました。 なぜなら、彼女たちはAさんに対し、言いたいことをはっきり言い、時には叱り飛ばし、どんくさいと笑い飛ばしていた自由な人たちでしたから、私は内心「もっと気をつかえばいいのに」と思っていたからです。そして、ずっと気をつかっていた私の事は、どう思っていたのかと哀しくなりました。

年が明けて、退院の日、彼女は病院の窓から飛び降りました。

通夜に行くと、彼女の実家は小さくて、辻の梅の大木が満開でした。白い白い梅の花を見上げながら、彼女のお弁当がいつも白いご飯だけだったことを思い出しました。幼い弟たちが客用の湯飲みを洗っていました。私は彼女になぜか「ごめんなさい」と言って泣きました。

春休み、同級生たちとバイクを連ねて彼女の墓参りに行きました。遠くに海が見える山の中腹にありました。彼女との縁はなんだったのか、彼女の17年間はどうだったのか、彼女が存在していた意味はなんだったのか、みんなで話しました。思い出すと、みんな明るい表情で、笑っていたように思います。「やっと自由になったんかもしれん」と、誰かが言ったのか、私が思ったのか、もうはるか昔話ではありますが、今も忘れないのは、大事なこころの記憶だからなのだと思います。
  


Posted by 内木場三保 at 11:22Comments(0)こころ塾

こころの筋トレ「境界線」

2017年04月26日


『きらいな人はきらいでいい』

私はその人がとてもきらいでした。
対話することも、一緒の場にいることすら苦手でした。
私はその人のことをいろいろと分析し、何が良くないのか、何をわかっていないのか周りを納得させようとしたり、そのうち、私が悪いのかもしれないと思うようになり、そして時間がたつと、やっぱり許せないと思いはじめ、許せない自分が悲しくなり、しまいには出会った運命をも呪うほどになりました。そんなぐるぐる思考が続けているうち、ついには胃潰瘍になりました。

そんなある日、研修で、
「あなたはどんな人が好きですか?」という質問をされました。

はじめはなかなか素直な言葉になりませんでした。
要するに「なになにしない人」とか、「なになにでない人」といったような、「嫌いな人ではない人」表現になっていました。
面白いですね。

そのうち、言葉は素直になって、

やさしいひと、うつくしいひと、
おだやかで知的なひと、
礼節を知り、上品なひと、
学びつづけているひと、
じぶんできめた人生をのびやかに生きているひと・・・という表現になりました。

きらいな人で一杯だった心が、これらの言葉で満たされた時、きらいな人は境界線の向こう側に行ってしまいました。

かぎりある人生、
こころを嫌いな人につかうより、好きな人やあこがれで一杯にしたい。
こころが傷つくことから守るのは、自分の意思が一番の武器です。

境界線を引いて、自分を傷つける人から意識的に自分を守りましょう。場合によっては、言葉で別れを告げましょう。そして、たくさんの好きやしあわせで心が満ちるよう、境界線をどんどん広げていくことを意識しましょう。境界線の向こう側が、どんどん遠ざかりますように。













  


Posted by 内木場三保 at 12:43Comments(0)こころ塾

こころの記憶(その1) 孤児院

2017年04月26日

こころ塾の講座や研修では、「多様性の受容」を大切に扱っています。
人はひとりひとり違うことを、たくさんの出会いから学びながら生きています。
そして自分もまた、たったひとりの「私」であることを学んでいます。

人は、ひとりひとりそれぞれの
「こころの記憶」でできています。

ボランティアの体験から。
『孤児院(児童養護施設)』

私は大学の4年間、児童養護施設のボランティアを続けました。
小学校一年生のA君の担当になりました。
施設では、「Aのねえさん」と呼ばれていました。

施設には、生まれたばかりの赤ちゃんから中学生までが生活していました。
ボランティアをはじめた頃は、子どもたちにやさしくしなくてはという勘違いから、いろいろ事件を引き起こしました。幼児部屋をのぞいた時は、一人の子に「おんぶして」と言われ、おんぶしたばかりに、おんぶ待ちの行列をつくってしまい、遂には手がつけられないほどの号泣の嵐を呼んでしまいました。 また、熱心に宿題をしている小学生の女の子を見かけたので、よかれと思って手伝ってあげたことから、彼女が複数の仲間に嫉妬による暴力を受ける事態を引き起こし、動揺して、どうしてよいのかわからなくなったこともありました。 

子供たちが求める愛情を、私一人で満たすことはできないというあたりまえのことがわかりました。
私は「みんなのねえさん」ではなく、「A君のねえさん」として子どもたちと接しました。「A君が帰ってくるまでの間」とか、「A君と一緒なら」と言うと、みんなとても素直に言うことをきいてくれました。

A君とは宿題をしたり、同じ部屋の仲間も一緒にゲームをしたり、いろんなことを話したりしました。小学校に忘れた文房具を一緒に取りに行ったりもしました。その時は、道を渡る時に「急げ」と言って私の手をひき、チラシ配りの人が近づくと、我が身をもって遮ってくれました。一緒に1年生、2年生、3年生、4年生になりました。

A君が一度、お父さんに会った話をしたことがあります。
おばあちゃんが大阪の駅まで連れて行ってくれて、あとは一人で歩いて会いに行ったそうです。おそらく当時は幼稚園児であったはずです。大阪の街を歩いて会いに行ったと聞いて、「よく迷わずにたどり着いたね」と言うと、「匂いでわかった」と言いました。 「また会えるといいね」と言ったら、「わからん」ときっぱり言い放ち、そのあと、「いつか大阪ではたらく」と言いました。

大学卒業を前に、もうすぐ卒業だから来られなくなると話したら、A君は「わかっとる」と言いました。すると、周りにいた子供たちが口々に、「僕らのねえさんたちは来なくなったけど、ずっと来てくれたのはAのねえさんだけだった。」「ブルーシールもたくさんもってきてくれた。」「Aのねえさんは毎月来た。」と言うと、A君がほこらしげに私を見てにっこりしました。 ボランティア最後の日の帰り道は泣けました。 私は、A君のねえさんを卒業しました。

A君の「こころの記憶」はきっと、家族とか働くということ、大人とか仲間といったことの価値観につながっていることでしょう。
そして私もまた、この「こころの記憶」を抱いて生きています。

「こころの記憶」は思い出し、再び整理して、大切にまたリセットする習慣が大切です。かつて出会った人々や「私」の また違う心の風景が見えてきます。


  


Posted by 内木場三保 at 10:31Comments(0)こころ塾

心を整える旅

2017年04月15日

心がつかれたら動け 体がつかれたら休め

わたしは時々旅に出ます。

趣味と言えばそれまでですが、
ひとつだけ心にとめている言葉があります。

それが、
「心が疲れたら動け 体が疲れたら休め」です。

別にへこんでなくても
「これからどうしようかな~」とか、
「今の私 このままでよいのかな」とか
少し内省に入った時は、
ウォーキングに出たり、
バスに乗ったり、電車に乗ったり、
飛行機を予約して飛び立ったりします。

空を見上げ
風を感じ
人や花や海を眺める時間は、
人の心を整える大きな力となります。

五月の連休、夏、、、来年の春
行きたい場所はどこですか?










  


Posted by 内木場三保 at 09:18Comments(0)

石山寺の山桜  誕生日旅2017③

2017年04月14日




 誕生日旅の最終日は、石山寺へ行きました。

 石山寺は紫式部が源氏物語を書いた場所です。
  
 天気は雨。
 気温も少し低く、入山すると珍しい八重の山桜が出迎えました。
 はじめて見た桜です。

 広い境内には、桜の園や、月見亭など花見の名所があり、他にも真っ白な山桜やイワツツジ、菫、梅もまだ咲いていました。






 それから本堂からはずれたところに、ここにも八大竜王拝所がありました。
 私以外、他に誰もいません。しばらくそこにいました。

 竹生島の拝所と異なり、木々に囲まれた「龍穴の池」を望む場所にありました。

 ご神木に手を当てるとなんともいえない厳かな気持ちになりました。雨が降っていましたが、木々を抜ける光がまぶしく(太陽の方向ではないのに)、とても不思議な気持ちになりました。この池は、琵琶湖につながっているのでしょうね。私はあの黒龍のお宮を思い出しました。おそらくここもパワースポットの一つではないかと思われます。








  


Posted by 内木場三保 at 11:19Comments(0)

竹生島参拝  誕生日旅2017②

2017年04月14日



 今回の誕生日旅の目的地「竹生島」
 日本で一番大きく、最も古い(世界で三番目に古い)琵琶湖に浮かぶパワースポットです。

 JR琵琶湖線長浜駅から、走って長浜港へ。第一便にすべりこみセーフで乗り込むことができました。9時に出航する船は「弁天」号。約30分ほどで到着します。島にいる時間は80分で、弁天号が迎えに来ます。往復で3070円です。

 何故、竹生島に行きたかったかというと、
 弁天様と龍神様がおられるからです。

 弁天さんは芸事や弁舌、財福、智慧の神様ですので、講師やファシリテーターとして人前に立つ仕事をしている私にとっては守り神のように思われる神様です。弁天さんは龍の化身でもあります。

 ここ竹生島の弁天さんは、日本三大弁才天の中で最も古く、手に持つのは琵琶ではなく八本の腕に武器を持ち、頭上に翁(宇賀神)の人頭蛇身を乗せています。このお姿は、今回、私にとってとても強いメッセージとなりました。

 島に向かい、島を出るまで、雨天予報がはずれて、空が晴れ渡りました。

 桜の花が満開で、花見を楽しみながら島をめぐると、島全体がパワースポットのような気に満ちているようでした。中でも、白い龍が上るような拝所の白い風景もさることながら、途中にあった黒龍のお宮がびりびりしました。深い深い琵琶湖の底に潜む黒龍の呼吸を感じるようでした。















   


Posted by 内木場三保 at 10:57Comments(0)

醍醐の桜  誕生日旅2017①

2017年04月14日



今年の誕生日は、「行きたいと思って行っていない場所」に行こうと思い立ち、たくさんある「はじめての場所」の中から滋賀県琵琶湖を選びました。誕生日の9日から三日間は、関西地方の天気予報は「雨」・・・自称晴れ女の私も自信がなくなって、いつもヒールのある靴で旅するのに、今回は人生初のスニーカーの旅となりました。

 初日は滋賀県に入る前に、はじめての醍醐寺に向かいました。
 
 プライベート旅はPeachで。荷物は軽くして預けず、その代わり最前列か二列目のシートを予約します。関空からは、リムジンバスで京都駅まで。2550円。Peachが離発着する関空の第二ターミナルが始発駅なので、席の確保も出来ます。京都まで約100分(特急はるかは約80分)ですが、結構快適です。

 醍醐寺に着くと、重い雨雲が割れて陽が差しました。
 折しも桜は満開。さまざまな桜があって、参道から金堂への参道での花見は夢のようでした。また、金堂には五色幕がかけられ、陽が差すと同時に風邪が吹いて、幕が高く舞いました。伊勢神宮でも同じようなことがありましたが、「よくきた」と言われたように思いました。



 門が閉まる直前でしたので、やや駆け足。枝垂桜に囲まれた五重塔も美しいでした。
 帰りのバスに乗ると雨。感謝です。




  


Posted by 内木場三保 at 10:16Comments(0)

イノベーション/つながる戦略

2016年12月23日

CONNECT/サンディエゴ創設者のメアリー・ウオルショック博士のセミナー覚書です。

アメリカのサンディエゴは、農業と海軍の街でしたが、今やエンジニアを目指す若者が最終学歴を収める場所として目指し、多くのエンジニアがそこで新たなビジネスを生み出し、そしてアントレプレナーはその地にとどまり後進を育てるというエンジニア育成と活躍の地として変貌を遂げました。その立役者が、社会学者のメアリー・ウオルショック博士。産学官の連携をこの40年継続し続け、今のサンディエゴの街と文化を創造しました。

メアリー・ウオルショック博士の言葉いくつか。

「イノベーションはリスクを伴う。だからこそ人と人がつながり、信頼関係を築くことが最優先である。多少なりとも失敗があったとしても、産学官のつながりや新たな人材との絆の構築をもって、その失敗は未来に活かされる。何をやるかより前に、誰とつながり、どう信頼関係を築くかである。」

「若者をひきつける街に必要なものは、『好き』につながる魅力があるかどうか。サーフィンが好きだからこの街に来た僕はエンジニアです。JAZZが好きなのでこの街で学ぼうと思った私はエンジニアです。私は美味しいワイン、美味しい料理が大好き。だからこの街で起業する。と言ったように」

「この街のレストランやバー、趣味の場には、職や立場を超えた人と出会う機会が常にある。大人と若者が会って話せる場所が用意されている。そして、投資をする人、場所を無償で提供する人、インスピレーションを与えてくれるアントレプレナー的な人が必ず存在する」

「エンジニアの街だからと言って、生まれたビジネスはハイテクばかりではない。ある人はサーフィンボードのブランドで成功し、ある人はレストラン経営、ある人は不動産と、この街を創造しつづけるために必要なところで次々と新たなビジネスが生まれた」

「産学官がつながり、世代を超えて、職域を超えて、「立場」「知識」「お金」「経験」をもって次世代を支援するコミュニティが形成されている町が、今のサンディエゴ。若者が集まり、この街に留まり、未来を創造し続ける。」

CNNで、日本の福岡がシリコンバレー、もしくはサンディエゴになりうる可能性を持った街だという記事が載ったらしい。
はたしてそれはどうなんでしょう。メアリー博士は、「アメリカ式でなく、日本、もしくは福岡は、スェーデン式を参考にした方がいい」とアドバイスされていました。さてさてその真意とは。



  


Posted by 内木場三保 at 20:40Comments(0)